ナザレのギネス世界記録の高波を求めて in ポルトガル

空の旅が終わり空港の建物を出ると、バルセロナよりも暖かく感じた。ちょうど目の前を横切る清掃スタッフの男が何か落とし物をした。

すかさず妻が拾い、Excuse me!

振り返った男は、妻の手の中にある自分の物を見て驚いた顔をすると、言った。

「アリガト!」

突然の日本語に今度はこちらが驚く番だったが、あっけにとられている僕らを尻目に彼は笑顔1つ見せずに行ってしまった。

実にクールなお出迎えじゃないですか。

そんな風に僕らのポルトガルの旅は始まった。

 

そもそもポルトガルに来ることになった理由。それは日本を出る前から決まってていた。

たまたまグーグル・アースでヨーロッパの田舎町を眺めていたら、海に向かって家々が一直線に並んでいる「ナザレ」という街を見つけたからだ。美しかった。

さらに、グーグル・ストリートビューを覗くと、小さな石畳の上にアパートらしき建物が沢山並んでいて、どことなく惹かれた。

画面上でストリートを歩くと、玄関のドアがひしめき合っている感じで、どの家も狭そう。それがかえって好奇心を掻き立てるのだった。

 

調べるうちに、このナザレがさらにとんでもない街であることが分かってきた。

実は波の高さでギネス世界記録に認定されていて、世界中のサーファーの憧れの地でもあったのだ。その波の高さはあの有名なハワイのビッグウェーブなど目ではない。

此処でのとある有名サーファーの波乗り記録の高さが100フィートを超えているからだ。mに置き換えると、30m超え。

30mってどんくらいだろう。勝手に5階建ての団地が自分を襲ってくることをイメージしてみてゾッとしたが、ちゃんと調べてみると団地5階建ては15mに過ぎないと分かった。

画像を検索すると、まあ、出てくる出てくる。そして、それらに共通して言えたことは波乗りなど完全に自殺行為だということ。

しかし、だからこそ人はサーフィンをしたり、そういう人を見に行ってみたりするのだろう。

長期休暇でも中々行くことのできないアイスランドとタンザニアに行ければこの旅は合格だと決め込んでいたけど、ユーラシアの最西端国のこの小さな漁師町ナザレもまた2度と行けるか分からない土地の1つだったというわけだ。

 

ナザレへのバス乗り場までは空港から地下鉄を乗り継いで向かう。

地下鉄で気づいたのは周辺国と違い、駅構内の壁に落書きがないこと。あるのは大人しめなアートのタイル。

 

バスセンターに到着。切符代をクレジットカードで支払おうとしたが、国内のカード会社じゃない、という理由で断られた。こんなことはこの旅で初めてのこと。

現金払いで事なきを得たが、ポルトガルの次に目指すアフリカでは外国人のカードではキャッシングできないATMもあるようでワイルドな旅になってきたことを実感。

 

日の暮れたナザレに到着。目的のエアビー宿に向かったが、似たような道が多くなかなか見つけることができなかった。

海岸沿いのベンチでWデート。

困り果てながら右往左往していると、マッチ売りの少女のような格好をしたお婆ちゃんがポルトガル語で声をかけてくる。意味が分からない。かといって英語はまったく通じなかった。

すると、お婆ちゃんは近くに停まっている車のナンバーを指差して、どーのこーの言ってくる。意味不明だったので笑うしかなかったが、

「住所を見せろって言ってるんじゃない?」

と妻が直感。

なるほどと思って、見せてみると、すぐに連れて行ってくれた。

 

玄関から宿主の黒縁メガネのマダムが出てきた。

婆ちゃんに御礼くらいはポルトガル語で言いたかったが、勉強不足。宿主のマダムが僕らに代わって言ってくれた。

しかしながら、またしても宿主に恵まれた。マダムは長い間ドイツで暮らしていたようだ。当時の職場には日本人女性がいたこともあるようで、彼女の物真似といってお辞儀の仕草をしてみせるチャーミングな方だった。

また部屋を隅から隅まで丁寧に案内してくれて、困ったことがあればいつでも言ってくれと自分の職場まで教えてくれる親切な方。

1LDKの狭いアパートだったが、持ち物がないので予想よりうんと快適だった。

 

さっそく街を散策。すると、

「Ola!」

と地元の人に声を掛けられる。スペインとほとんど同じ発音の挨拶だが、田舎ということもあってか、人々の懐っこさが違った。

 

とにかくメシ。ということでインド料理店に入り、カレーを食べた。とにかく腹が減っていたから、まずはしくじることのない料理を選んだのだ。

やっぱり当たり。

とてもうまかった、とターバンを巻いた店主に言うとにっこりと笑ってくれた。滞在中、このターバン男には街中で何度もすれ違ったが、いつも目が合うと「君のこと覚えているよ」というようにニッコリ笑ってくれた。

 

さらに散策は続いた。

ひときわ賑わっていたのは酒場。

何やらテレビを見ながらワイワイ騒いでいるようだった。近づくとショッキングなことにそこには爺さんしかいなかった。

一体何のテレビを見ているのかと思って店の中を覗き込むと、一人の爺さんが僕の存在に気づき、「おい、日本人。入れよ。スポルティングだ!」と言ってテレビを指差す。

スポルティングとはポルトガルの名門サッカーチームのことだが、よく見ると店の内装も外観もスポルティングカラー。その完成度からおそらくクラブが経営に携わっているのだろう。

夜遅かったので断ったが、こんな光景は日本ではまず見られないから面白そうな試合があればぜひ行ってみたいと思った。

 

ところでナザレに1カ月も滞在することになったのは、妻が「アフリカで年末年始を迎えるのは皆がお金を欲しがる時期だから危険」と言い出したことから始まっていた。

そんなの大して変わらないだろうなと思いながらも、僕は僕でナザレに長く滞在するのは都合が良かった。

そんなわけで自然が大好きな僕はノルウェーやアイスランドの時のように元気を取り戻していた。

宿のWIFIパスワードが書かれたカード。日本とは字の書き方が違った。真ん中の3文字が use に見えたが、宿主に問い合わせると、まさかの 45c と発覚。cだと!

 

翌朝、市場へ行った。宿はキッチン付きなので料理をしない手はないのだ。

市場というのは日本でもそうだけど、けっこう売り手が強気。これはヨーロッパも同じらしい。けっこう声をかけてくる。

まあ、幸いにもオバちゃんの標的になるのは妻のチハルだったのだけど。

それでも肉、魚、果物、野菜、手作りお菓子など、日本にもあるけど、よく見てみるとないものばかり。見ていて中々楽しく、滞在の間、何度か訪れた。

そのあとケータイショップにも行き、電話番号を割り当ててもらえるSIMカードを購入した。電話番号がなければ配車アプリを登録できないためだ。アフリカの凶悪都市では重宝しそうなことから、予行練習的にヨーロッパにいる間に使ってみようと考えたのだ。

 

ところで、買い物をすると必ず店の人は最後に「オブリガード」と言ってくるのだけど、これ「ありがとう」の意味だった。

それを知ったとき、僕は空港で落とし物をしたあの男の顔を思い出して、きっと彼は「アリガト」ではなく「オブリガード(けっこう早口)」と言っていたに違いないと確信したものだ。

勝手に日本語と勘違いし、感動したことを恥ずかしく思ったが、開き直って「アリガト」を「オブリガード」のシーンで使ってみたりもした。大体コクリと頷いてくれる。

ムニシパル市場

 

スポルティングファンの集うところ

 

目的は波を見ること。

高波を見るには街から階段をハアハア言いながら丘の上まで登るか、傾斜鉄道で上がるか、いずれかの方法で灯台のある岬まで行く必要がある。

僕は滞在中ずっと階段を使った。1度くらいは鉄道に乗ろうと思ったが、12月の中頃には運休となったので諦めたのだ。

 

初めて階段をあがったとき、その中腹から海を展望できたのだけど、数頭の大きなイルカがかなりビーチに近いところを泳いでいるのを見つけた。

見つけるなり僕らは勢いよく階段を上って頂上まで登ったが、着いた頃にはイルカはいなくなっていた。見かけたのも滞在中それっきりだった。

 

結論から言うと、波に関しても同じだった。毎日毎日通ってもビルのように大きな波は見ることはできなかったのだ。どうやら高波がつくられるのはかなりの条件が整う必要があるのだろう。

自然を巡る旅とはそんなものだと理解はしていたが、1カ月も居れば大丈夫だという根拠なき自信をもっていた。しかし、そう甘くないわけだ。

 

妻のチハルはあまり波に関心がなく、それを見るために丘に登ったのも3,4回だけだったと思う。

その間、1人でカフェに出かけたり、郊外のスーパーマーケットに行ったりしていたが、それで1カ月を潰すには退屈なようで、夜は別の街のことをスマホで調べているようだった。

また、そういう日常になっていることを自分の母親に話したらしく、

「つまらないのならチャッピー(愛犬)の世話に手を焼いているから帰ってこいって言われたよ。ああ、どうしよう。私たち滅茶苦茶迷惑かけてる。弟からも言われたよ、お母さんが大変そうだ、って。」

と負のスパイラルに自ら飛び込んだことを教えてくれたこともあった。

これには僕も焦った。妻が楽しめるか楽しめないかで旅の期間が決まりそうな気がしたからだ。

 

とりあえず、街歩きと買い物に付き合う。

丘の上の小さな礼拝堂

 

礼拝堂の中は美しいタイルが敷き詰められていた。

 

菓子売りのおばさま。ハイソックスにゴワゴワなスカート。ナザレスタイルに欠かせないポンチョと頭巾は椅子に掛けられていた。

 

丘の上。民宿兼お土産売り場。

 

土産売り場はイワシをイメージさせるもので溢れている。

 

購入したマグネット。とりあえず宿の冷蔵庫にくっつけてみた。

 

海岸沿いのサーフショップにて購入

 

買い物は妻だけでなく僕も大満足だった。

そしてありがたいことに妻の焦りは、意外なことをもキッカケにして無くなった。

それは僕の書いているこのブログを妻が読んだときのことだ。

「なんだ、こうやって振り返ると、私たち立派に旅してるじゃん!」

と、こう言うのだった。

彼女がいかに他の旅人のブログを読んで、それを理想の旅として描いていたかが分かった瞬間でもあった。

「裏を返せば、ほかのブロガーにも実は退屈な時間が流れてるんだろうね。」と妻。

「まあ、普通は非日常を写真に収めるんだろうし、俺だってそれを元にブログを書いてるからね。良いとこ取りになってしまうんだろうよ。」

波が荒れているノースビーチ つねにビーチには泡が置き去りになっていた。

 

街のあるサウスビーチ。こちらはノースビーチよりも穏やかだが、白波は物凄いスピードで浜辺に乗り上げてくる。

 

大西洋の広がるナザレは夕暮れも美しい。

あまりにも妻が毎日のように夕日を見に行きたがるので何度も最寄りのビーチに通った。そして決まって彼女は水平線や夕空を張り付くように眺めて、

「私、オーロラよりも夕陽の方が好きだな」

と言うのだった。

怪物級の高波の映像がこの灯台の下に貯蔵されている。実はこの建物はサーフィン博物館。ナザレに来たら絶対に行かなければいけない。

 

ススキのような植物の演出も良かった。

 

地元の人たちも夕方が大好き。

 

また、あるときは、夕日が水平線に沈むのを見届けて、家に帰ろうと振り返ったら、街の向こうから満月が顔を出していたことがあった。

「この旅、一番の感動!」

と妻は言っていたけど、僕も子どものようにはしゃいでいたと思う。何というか旅とはタイミングなのだろう。狙いを定めれば外すし、定めなければ思いもよらないこと起こる。

この頃から大波を見ることにも諦めがつきはじめた。中波程度でもいいやと。

 

クリスマスイブ。

街に雇われているらしいサンタクロースが海岸を歩いていた。疲れるとサンタ用ハウスで休憩したり、ときには街の人と写真を撮ったり。

そんな雰囲気の中、妻に連れられて郊外の大型スーパーへ行ってみた。ケーキを買う必要があったのだ。

スーパーの印象は他の周辺国よりも甘い食べ物が充実していて、少し安いといったところか。

ガトーショコラらしきケーキを購入。ホールで買っても720円ほど。

 

カステラと書かれていたので買ってみたが、これは失敗。想像を逸脱する残念な味だった。

 

ポルトガル名物の塩だら。食べ方がややこしいことを知り買わなかった。

 

街へ戻り、残りの滞在も短いナザレを散策。

迷ったら目印になっていたレストラン

 

チハルがカフェ巡りしてようやく辿り着いた量も味も安定の飲み物「ガラオン」。カフェオレに近い。

 

道という道はほとんど片側通行。小売店の多いこの通りはクリスマス仕様。

 

クリスマスイブの真夜中。ナザレの中心広場には誰も居らず、iPhoneをベンチに置いてセルフィー。

家に戻ると、妻に耳かきとマッサージをしてあげた。これは交際が始まった15年前からクリスマスと誕生日のみ僕が妻へサービスしていることだ。

ナザレでの暮らしがあまりにも時間に余裕があったので、妻は睡眠時間をしっかり確保できていた。また良いベッドで寝ていたこともあってか、マッサージし始めると、途端に「くすぐったいからもう止めて」と言うのだった。驚いた。

日本を出てから僕にも体の変化があった。このことについてはまた別ところで語ろうと思う。

 

さあ、アフリカに向けて動き出す日が来た。

狭い家が多く、我がアパートにも洗濯機はなかった。コインランドリー通いの奥様を眺めて。

 

ナザレでできることは、アラリア予防薬を手に入れること。現地だと粗悪品が出回っているという医師による旅ブログからの有難い情報があったからだ。

しかし、薬店へ行くと「うちには置いていない」と言われ、別の薬店でも「処方箋が要る。もっててもその薬は取り寄せになる。」と微妙なことを言われた。結局、時間の都合と加入している旅行保険の対象外だったため諦めた。

何度も見かけた放し飼いの犬。旅中、彼に限らず犬を見かけると愛犬のことを思い出さずにはいられなかった。

仕方ないのでスペインで処方箋なしで買ったという古い日本人のブログ記事を頼りにスペインに戻ることにした。

ポルトガルよりもスペインからアフリカへ飛ぶほうが費用が安く済む場合が多く、僕らのタイミングがそこにハマったこともある。

しかしながらこの旅が面白いのは当初の計画とはまったく違う動きになっていることだ。

 

ナザレ。最後の外食。

妻はご当地グルメのイワシ料理を頼んだ。1皿に4尾も載せられている。店によっては5尾というところもあった。一度食べてから虜になってしまったのだ。

僕はイカとエビが交互にくし刺しにされていて、その油がポテトに落ちて2度おいしい料理を頂いた。

レストランからの帰り道で妻が言う。

「あんたの後ろのテーブルに座ってた幼い男の子、ボーノ!って言ってたよ。」

「へえ。」

イタリアにいるときですら聞けなかった本物のボーノってのを見てみたかったものだ。まあ、とにかく美食のイタリア人からしてみてもポルトガル料理は美味いものなのだろう。僕にとってもこの日の晩飯はこの旅始まって一番の美味だったといえる。

 

元々このナザレはイワシの地引網漁で栄えた街。しかし、サーファーの聖地としてリゾート地にも成り代わっていて海岸線には高級なレストランや宿も多い。

ジョギングしていても、筋トレマシーンのようなものが設置された綺麗なスペースがあったり、浜の上には昔使われていた船が塗装されてオブジェのように展示されていて現代的。

かと思えば、かつての日本のように婆ちゃんたちが魚の開きを青い網の上に干して、それを売っていたりする。

 

繰り返すようだがナザレの婆ちゃんたちはみんなマッチ売りの少女のような格好をしていた。

これはそんな婆ちゃんが小さい干物を差し出してきたときのこと。

そのまま食べてみたら美味くて、そのすぐ傍に置いてあった大きい魚が気になって尋ねた。

「Isso pode ser comido sem assar?(これは焼かなくても食 べれますか?)」

「Si. (はい。)」

翻訳アプリで変換したポルトガル語を喋ってみたら、簡単に通じたのだ。思わず笑った。

婆ちゃんの写真を撮らせてもらったが、残念ながら無くなってしまった。ついでに書いておくと泊まった宿の画像も無くなった。何かの間違いで削除してしまったらしい。

 

1カ月も滞在すると、なかなか良い思い出ができる。そして、この町の温かさを知る。

バルセロナ滞在時と同様に、夕方になると街は人々で溢れかえる。シーズンオフのこの小さな町にこんなに人がいたのかと驚くほど。

そして彼らは、毎日、家族や気の合う仲間と散歩したり飲んだり釣りをしたりして数人で行動していた。

僕らはキャッチボールやサッカーで汗を流した。

 

ナザレに来て失敗したことは釣具を持ってこなかったことだろう。というよりどこの国へ行っても思っていることだ。とくに長旅でキッチン付きに泊まる場合。しかし、旅の荷物には限界がある。

いつか、釣りに特化した旅をしてみたい。

サウスビーチの南側の灯台

 

最後に波のこと。

1人でも何度も通ったノースビーチだったが、ある日その遥か陸側に立っている風車に惹かれて誰もいない広大な松林を歩くちょっとした冒険をしてみた。

途中でフェンス越しに大きな鹿を目撃。しばし見つめあっているうちに、リアルに映画「スタンドバイミー」を体験している気がした。

 

その帰り道のこと。灯台の先の方に10m級と思しき波が押し寄せた。よくよく見るとサーファーがジェットスキーに引っ張られて波乗りに挑んでいた。

10m級といえど魅せられた。しかし、ドローンがエラーを起こして飛ばせなかった。どうしてこんなに不運なんだと悔しくてたまらなかったが、計画通りにはいかないのが旅というものだ。

ナザレでの渾身の1枚

 

翌日にはドローンが正常に動いた。悔しかったけど、壊れてなくて安心する気持ちのほうが強かった。

ナザレ、ありがとう。撮影後これはナイスだね、と近くにいた青年に言ってもらえた。

 

旅立ち。バスセンターにて。

 

最後にナザレ滞在をまとめた動画を添付↓