ただガウディに酔いしれた in バルセロナ

ただガウディに酔いしれた in バルセロナ

11月23日。バルセロナのエル・プラット国際空港に到着。外は真っ暗だった。市内中心部の宿にチェックインする頃にはずいぶん夜が更けることが想定できたし、過ごしやすい空港だという事前情報もあったため、手すりのないベンチを見つけて空港泊となった。

辺りを見ていると同じ考えの人は多かったようで、次第にベンチの取り合いが始まり、ゲットできなかった人たちが人通りのないところを選んで床に寝転がり始める。

そんな人たちを見るのにも飽き、やがて僕も寝落ちした。

目が覚めたとき、外は明るくなっていた。防犯のためベンチにワイヤーでバックパックを巻き付けてロックしておいたのだけど、ちゃんと仕事してくれていたようで一安心。

午前10時頃、バックパックを抱えて、シャトルバス乗り場を探すため空港内を歩き回る。

それにしてもヨーロッパの建物内にある案内板の矢印だが、完全に向きが狂ってる。これはスペインに限ったことではない。

例えば建物内を歩いていて「↑トイレ」の案内が出たら、日本だと「この先まっすぐ」の意味だと思うけど、こちらでは完全に違っていて、「上の階」を意味するのだ。

他にもエスカレーター付近に「↗トイレ」という表示である。これこそ「エスカレーター上がった上の階にトイレ」の意味だろうと思ってしまうけど、「エスカレーターを避けて、斜めの方角に歩けばトイレあるよ」というのが正解。

そんなわけでシャトルバス乗り場を見つけるのにもちょっと苦労した。

無事にターミナルを移動し、駅に到着。荷物の番を僕に任せた妻が切符を買いに行ってくれた。

妻はバルセロナでの街歩きについても色々下調べしてくれていたようだ。多分、どんな切符が一番お得なのかや買い方などを調べる必要があったはずだ。ちっとも嫌な顔をせずに色々とよくやってくれた。旅にもつべきは添乗員的妻である。

 

電車の出発とともにスペインらしい音楽を奏でるバンド隊が車内を歩き始めた。テレビでスペインが映ったときにBGMに使われていそうなラテン音楽が流れる。

演奏の後にチップをあげた。

サンツというバルセロナの中心駅に到着。市内中心部にしてはコスパが良いというドミトリー宿を妻が予約していたのでそこへ行き荷物を預かってもらい、チェックインまで街をブラブラすることにした。

この国もまた、家族やカップルがよくキスしている国である。当たり前だが、彼らは人前でのろ気ているわけではなく、ただ挨拶しているだけ。

でも、こういうのに遭遇した場合、イタリアに引き続き僕は妻に対して申し訳ない気持ちに駆られてしまい、彼らを真似て軽やかにキスをしなければならなくなる。そして、おすまし顔。しかし、慣れないもので僕らはムフフと笑ってしまう。

街にはパエリアなど上手そうな料理の看板を幾度となく見かけた。しかしヨーロッパ滞在も2か月目に突入しており、とくに外国の食べ物に興味はなくなっていて、ただただ日本語で「ラーメン」「居酒屋」などと書かれているのを見つけるときだけは立ち止まってしまうのだった。

 

宿に戻り、チェックインを済ませ、8人部屋の男女混合ドミトリーへ。

部屋には誰もいなかったがシーツが敷かれているベッドが既に1台。上手くベッドメイクされていたので僕らもそれを真似た。

Hostel Pere Terres Barcelona

 

上手くベッドメイクできると、他にすることがなくなったため、また部屋を出た。

そして、夜まで当てなく散歩した。

気に入った場所がある。過去にオリンピックの行われた公園内なのだけど、野球場へ向かう途中、道に迷ってしまい、とあるトンネルを潜る羽目にあったのだけど、そこがほぼ無人のボルダリングスポットだった。

ボルダにそれほど興味があるわけではないのだけど、あまり人気が無く珍しいものがあるというだけで何だか絶景を独占したような気分になった。

トンネルの外観

 

トンネル内の落書き

 
 

公園内で見かけたテレビ塔

 

球場に行きたい理由は、グランドを見れるだけでワクワクしてしまう癖が昔からあるのだ。

しかし球場に着くと、試合が行われていた。スペインで野球の試合があるなんてのは意外なことで驚いた。

というのもドイツでプレーする日本のプロサッカー選手が「ベースボールって何?」とチームメイトに言われたことを驚いたこととしてテレビで語っていたからだ。

ヨーロッパから野球の世界大会に参加するのはせいぜいオランダかイタリア。それもMLBなどの海外でプレーする人ばかり。

だが、目の前ではかなりハイレベルなゲームが行われていた。謎だったが、よく見ると、世界大会などでみかける顔立ちの中南米系の人が多く、なるほど彼らもスペイン語圏の人たちかと納得した。

さらにググると、スペインには国内リーグがあり、過去には数人の日本人選手がいたことまで分かった。このゲームがどういうレベルの人たちで、公式試合なのかどうかなどはさっぱり分からなかったが、ぼくにとっては贅沢極まりない至福の時間でしかなかった。

オリンピック公園にて

 

帰りには、日本語で「ラーメン」表記の看板を見たので、そこへ入って晩メシを食うことにした。

のれんをくぐると、ザ・スペイン人な顔したおじさんが声を張り上げてくる。

「あっ!いらっしゃいませー!2名様ですね、こちらにどうぞー!」

思わず尋ねた。

「な、なんでそんな日本語うまいんですか!?」

「え?だってほら、キクちゃん」と言い彼は僕の背後に目線を移す。

振り返るとそこには落語家・林家木久扇氏の写真が飾られていた。ガチ日本人であり、しゃべりのプロの経営する店だったのだ。

ラーメンを頼んだが、正直なところ美味くなかった。とはいえどんなラーメンでもスペインで食えることはありがたいことだし、他の日本食メニューが美味くて充実していたこともあって「ラーメンがめちゃ美味かった」とブログに書いてやろうか、と思うほど僕はこの店が気に入った。でも、嘘は書きたくない。ラーメンは食うな。

 

宿に戻ると、共有スペースのテレビではスペイン語版ドラえもんの映画を放映していた。家族連れも多く、夜更かし中の子どもたちがテレビを眺めていた。

一緒になってみていると、ドラえもんやのび太の口パクからはダンディーすぎるスペイン語が漏れてくる。そこまでダンディーだとさすがにストーリーも変わってしまうんじゃないだろうか、と心配するほどマッチョな声だった。

念のため注意深く視聴してみたが聞き取れたのは「グラシアス」というありがとうを指す言葉だけ。さすがにキツくて5分で断念。

コーヒーでも飲もう、と思ってすぐそばの自販機で買う。しかし、出てきたのはその紙コップのサイズには到底見合わない少量の液体。

「アメリカンコーヒー」みたいな表記があったのでそれを選んだのだけど。。

そういえばイタリアでも「アメリカーノ」などと言ってカフェでカッコよく注文してみたらエスプレッソサイズのおちょぼなカップで出されたことがあった。

その他の国でもコーヒーの注文の際には不思議に思ったことがあり、調べたところ国や地域によってコーヒーの呼び名が変わり、日本人がイメージするそれとは違いがことはある程度知っていた。

しかしスペインではイメージ通りのアメリカンでアメリカンが出てくるという確信があり、ショックだった。納得がいかず自販機が壊れていると結論付け、スーパーで買ってきていた水をがぶ飲みしてやった。

 

寝室のドアを開けると、すでに消灯していて、風呂上がりでブリーフ1丁のお爺ちゃんがちょうどズボンをあげようと、かがんでいるところだった。

おじいちゃんはかがんだままの状態でこちらを振り返って「Hi」と小声で手を上げてきた。まさか、このタイミングで!と思ったことだろう。

「Hi」と僕らも小声で答え、辺りを見回すと、他のベッドには2人の老父がいて既に寝静まっていた。午後10時になったばかり。はえーな、と思いながら僕らもシャワーの準備をした。

 

深夜、大勢の人たちが騒ぎながら廊下を歩く音が聞こえた。少しずつ僕らの部屋に近づいていて、ガチャという音とともに彼らの声が爆音となった。

玄関に視線を送ると、実に眩しかった。そこには大家族がいるようで、空気を読んだのかみんなが小声になった。やがて、そのうちの若い夫婦2人だけが入ってきて、シャワーも浴びずにすぐに寝た。

 

翌朝、目が覚めると部屋に残されているのは僕ら夫婦だけだった。何気なく共有スペースへ行くと、妻が驚いたように言った。

「あ!あそこにいるおじさん、コーヒーにお湯を足してる!」

なるほど、そうやってアメリカンにするのか。。。そういう意味か。

 

この日はちょっとだけ街へ出て、サグラダファミリアを覗くことにしていた。徒歩30分くらいの道のりを頑張って歩いて到着。骨のような4本の塔が見えたときは感銘を受けた。もう20年以上前になるだろうか。社会科の教科書でサグラダファミリアを知ったのだけど、そのとき見たものよりも清潔感がありシンプルな外観だった。

ドアの上に施された彫刻たちはアニメのように現代的で斬新だった。とくに中心にはキリストがいるのだけど、十字架にかけられている体のずり下がり具合などがこれまで絵画などで見てきたどんなものより誇張されており、ほぼ「Y」の字と化していた。

この時期のスペインの空は青く、バルセロナとあって飛行機雲が多くみられた。僕らは満足するまで教会を撮影して、その場を去った。

 

夜になって、スーパーで総菜を買い、宿に戻った。共有のダイニングルームには乳児・幼児を連れた家族が入り乱れていたが、たまには良いかなと思って、レンジで買ったものをチンして食べた。美味かったが、妻は「もういらん!」と言ってチャーハンともパエリアとも言えない米料理をほとんど残していた。お口に合わなかったらしい。

 

寝室のドアを開けると、偶然が起こった。またしてもあのブリーフ爺さんがズボンを履こうとよろめいていて「Hi」と挨拶してくれたのだ。

しかし昨日寝ていた2人の爺さんたちはチェックアウトしたようでベッドには姿がなく、シーツごと消えていた。爺さんと僕らだけだった。ズボンを履くと、爺さんはすぐにベッドに入ったため、焦りを感じ「照明を落としてもいいか?」と逆に聞いてしまった。もちろん返事はイエスだ。

 

僕らは人のよさそうなブリーフ爺さんの眠りを妨げたくなく、シャワーを明日、浴びることにした。そう、シャワーが部屋の中にあったのだ。昨晩夜中に入ってきたカップルはまだ戻ってきていないようだ。シーツが回収されていないところを見るとまた夜中に戻ってくるのだろう。彼らもまた遠慮して、シャワーを浴びないで寝るはずだ。

上段のベッドに入ると爺さんが読書灯を点けて本を読んでいるのが見下ろせた。一体なぜ爺さんたちが1人でここに泊まっていたりするのだろう。チャンスがあったら訊いてみたいな。

 

目が覚めると、朝食を受け付けるギリギリの時間。ベッドの梯子が細すぎて、まともに使えば足裏に突き刺さるように痛いため、飛び降りるように起きてみると、ブリーフ爺さんのベッドからシーツが消えていた。またしても僕らだけが取り残されていたようだが、若い夫婦のシーツだけはかろうじて残っていた。

 

朝食後は、PCを開いて、カメラから画像を取り込んだり、民泊サイトで宿の予約を取ったりした。

 

あれこれやっているうちに今度は昼食の時間がやってきて、外へ出ようとしたそのとき、部屋の中に1人の若い男が入ってきた。

「Hola(こんにちは)」と彼はスペイン語の挨拶。

「Hola」と返すと、彼は穏やかな表情でベッドに座り、荷物の整理を始めると、ロッカーの鍵が上手く開かないようで苦労していたのでコツを教えてあげた。

「あなた方はここにどれくらいいるんですか?」

「ここは3日目で今晩が最後。明日から1週間は別の宿だよ。」

「どこから来たんですか?」

「日本だよ。」

「へえ。」

「あなたは?」

「ブラジル」

「おお。日本からはとても遠いね。」

「そうですね。」

「それにしても、若い。歳いくつ?」

「22です。」

「旅行?仕事?」

「両方です。」

「どれくらいのバルセロナに居るの?」

「1週間です。」

「じゃあ、出国は僕らと変わらないね。」

「そうみたいですね。ところで、この宿で3日過ごしてみてどう思いました?」

「なかなか良いと思うよ。」

「じゃあ、なんで宿を変えるんですか?」

「理由は特にないよ。強いてあげれば、少しお爺さんが多かったから、気を使わなければいけなかったことくらいかな。」

僕はそう答えて、少しばかり苦労したことを話してあげた。すると、なるほどねー、といった表情で彼は聞いてくれていたけど、実のところこの宿へ来る前から3泊で宿を変えることは決定していたから、なんだかあの爺さんたちのせいにしてしまったようで申し訳ない気持ちになった。

初めから「此処には3泊だけと決めていたんだ。」と伝えるべきだった。しかし、僕の英語力はまだまだ発展途上。日本語で考えた言葉を英訳して話しているケースが多く、そういうときはものすごく時間がかかるので諦めてしまう。自分の言葉の壁がどこにあるかを確認したところで「また夜に会おう」と言って部屋を出た。

 

この旅、2度目のサグラダファミリアへ。

驚いた。妻にひょこひょこついていくと、前回とは正反対の方角からそこへアクセスしたのだけど、着いてみて分かったのは自分がサグラダファミリアの「サ」の字も知らなかったということだ。

なぜならそこには教科書で見たことのあるサグラダファミリアがあったのだ。

鍾乳洞のような「生誕のファサード」

 

鍾乳洞の前にはゲートがあり、厳しい表情の係員が立っていたが、ツアーをネット予約していた妻がスマホの証明画面を見せると、あっさり通過できた。

僕らは日本語音声付ガイドの機器を備えてイヤホンを耳に装着した。久しぶりに聞く妻以外の人が話す日本語だった。

音声ガイドは教会に入る前にまずは屋外展示の模型を見に行くように促してきた。

行ってみるとそこには完成予想の模型があり、目の前にある「生誕のファザード」と呼ばれる4本の鍾乳洞はサグラダのほんの一部にすぎないことが分かった。

では、なぜこの部分をよく目にするのかといえば、これがガウディの健在時に造られた部分だからだろう。

驚いたことに2026年に完成するらしい。あとたったの7年。

右手前部分の4本が「生誕のファサード」

 

有能な日本語ガイドはファサードに刻まれた彫刻の意味を細かく説明してくれた。

 

施工だかデザインだかに日本人が参加していたことはどこかで聞いたことがあったが、生誕のファサードの中央にある扉をデザインしたのが日本人とは思わなかった。

サグラダファミリアの凄いところはガウディの意志を受け継いだ人たちがそれぞれの個性を出しているところだろう。

普通は名建築といえば1人の建築家により設計されることが殆どだけど、ここはそうではない。

というのも内戦勃発で設計図が紛失した過去がある。わずかに残ったものや、職人からの伝承により推測で設計施工が行われてきた。また、教会であるがゆえ資金調達が長引いたり、違法建築であったこともあり何度か建設が中断したことがある。

建設中の鐘楼 途中までエレベータで上がれた

 

本当にガウディについて何も知らなかったが、ガイドによれば自然や音楽をこよなく愛した人でもあったようだ。この教会にも彼のそういった部分が滲み出ていた。

散りばめられた何本もの塔は鐘楼であり、一斉に鐘が鳴りだす日が来るらしいけど、その音が町中に響き渡るようにボコボコとした穴が下向きに空いているのは楽器をイメージしたからだとか。

また教会の一角には学校がつくられていた。教会内部のデザインは森をイメージしていて、ディズニーランドのようなメルヘン空間のように感じられたこと。また、そんな自由な教会でありながら聖書にしっかりリンクしたデザインであること。愛される理由をあげればきりがないと思われる。

今は海外の人からも愛され、拝観料などによる資金収入が増え、建設技術の高まりもあり工期は予定されていたものよりぐっと短くなった。

どおりであと7年なのだ。昔は完成まで300年といわれていたが、144年で済まされる模様。

鐘楼の中から市街地を望む

 

柱によって石の材質が異なっている教会内部 ぜひともガイド付きで楽しみたい。

 

別の彫刻家による扉のデザイン(受難のファサード)

 

教会を出ると、お土産屋に向かった。

幼少の頃、ディズニーランドに初めて行ったときにお土産屋で非常にワクワクしたものだが、久しぶりにその感覚を味わった。

結局、金欠である僕らは何かを買う勇気を持てず土産物屋を出たけど、

「金をたらふくもってまた来たいな。」

と妻が言うので、それはそれでまたワクワクしてきたものだ。

最後に少し離れた場所からまた教会を眺めた。完成後の模型と比べるとまだまだ未完成であることは明らかだったが、あと7年ほどで完成するのかと思うと、建設技術の発達に感心せざるを得なかった。

こうして、僕らのサグラダファミリアの旅は終わった。

「受難のファサード」

 

カサ・バトリョというガウディが設計した邸宅も見物した。そこもそこで明らかに他の建物とは違うオーラを発していた。

とはいえ、ツアーに参加しなかったため、外観しか楽しむことはできないに等しく、一瞬にして忘れてしまいそうな記憶となった。

そんなこともあり、グエル公園というやはりガウディ設計の名所があるのだけど、ここには行かないことに決めた。ガウディにばかり掛ける金が我々にはないのだ。

カサ・バトリョ

 

宿付近のスーパーで総菜を買い、電子レンジを使ってイートインスペースで晩飯を済ませた。

 

ドミトリーに戻ると、新客はおらず、相変わらずブラジルの若い青年が1人だけだった。少し話したが、疲れているようでウトウトしていたので早めに消灯した。

消灯したのは良かったが、しばらくたって、僕は上段ベッドから本を落っことしてしまった。本は彼のすぐそばでパン!と音を立て着地。それと同時に彼がビクンと悪夢を見ていたかのように身を起こした。本が転がっているのを確認すると、安心したようにこちらを見て笑った。

「(ごめん!)」

「(大丈夫です。)」

僕はすぐにフロアへ降り、本を拾い上げた。

「(ほんとにごめんね)」

「(いえ、気にしてないですよ)」

彼はそう言うと、これまた気の利いた表情で布団に潜った。

 

翌朝、僕らはチェックアウトの準備をした。バックパックに物を詰め込んでいると、外国で知り合った友達が欲しいらしい妻は「あのブラジルの子と友達になりなよ」としきりに言ってくる。しかし「特に一緒に遊んだりしたわけでもないのに?」というのが僕の正直な気持ちだったので遠慮させてもらった。

準備が整ったところで、朝食を終えたらしいブラジルの子が部屋に戻ってきて元通り3人になった。おとといの夜中にインしてきた夫婦のシーツはまだ片付けられていないところを見ると、あのときの雰囲気に面喰って家族の部屋にでも転がり込んでチェックアウトしていないのだろう。

「君が来る前にあのベッドを使ってた夫婦がいたんだけど今日も戻ってこないだろうから新客がなければもうこの部屋は君のプライベートルームだね。」

「なんてこった。」とは失笑した。

他愛もない話をした後、僕は出発前にトイレにこもった。用を足していると、彼が妻に「じゃあね」と言い残して部屋を出る音が聞こえた。その「じゃあね」が明らかに「さよなら」のトーンで今も耳に残る。

連絡先も聞かずに別れるケースはドミトリーでは日常茶飯事だろうけど、寂しい部屋での時間を共有した彼にもう2度と会うこともない。そう思うと少し寂しい気がした。

こういうとき、妻がむかし教えてくれた職場の人の話を思い出す。

「うちの職場の○○さんはむかし世界を放浪していて、ある国で1人の男性と出会って、地球の反対側でまたその人に偶然会って結婚したんだって」

 

宿を出ると、市内のあまり電車が停まらない小さな駅の近くにアパートを借り行くことに。

サンツ駅からどのように行けばよいのか分からなかったけど、駅の電光掲示板と地図アプリを交互に眺めていると、親切なおじさんがそこへ行くには何番のホームのどの辺で待てば良いのかまで教えてくれたおかげで実にスムーズに辿り着くことができた。

アパートには1週間滞在することになっていた。理由はFCバルセロナのサッカーの試合をあの10万人スタジアムのカンプノウで観たかったからだ。ただ、それまで暇なのでのんびりと現地に溶け込んでみたかった。

やはりアパート貸し切りは自由で最高の気分を味わえた。費用は1泊5000円程度。リフォームされたばかりだった。

 

快適だった1LDKのアパート

 

近所のハイパーマーケットには2,3回足を運んだ。面積はスーパーマーケットよりもはるかに大きく巨大なカートを押しながらの買い物となる。倉庫のような売り場を巡るのは中々の遊園地だった。

特に印象的だったのはオレンジジュースの販売機だろうか。オレンジが詰め込まれた機械が真っ二つに割られ、ジュースをつくるのをガラス越しに見ることにができるのだ。それ見たさについボタンを押してしまった。

味ももちろんよかった。その健康的なおいしさは飲めば誰にでもわかると思う。ただ、オレンジはそのまま食べるほうがやっぱり美味い。日本ではデコポンを名乗れる種のミカンがいくつかあって、あんなに美味いものはないと思うけど、どれ一つをとってもデコポンジュースとしてメジャーにならないのはやはり「食べる」に勝てないからだろう。

でも欧州の人たちは健康食品にとても敏感。そのあたりは前回記事のフィレンツェ編を読んでもらっても分かると思う。自然なものを体に取りこみたい気持ちが強く、実際に美味しいと感じているのだろう。

きっと果汁100パーセントを謳う砂糖やら何やらがたっぷり入った日本のオレンジジュースに体を染められた僕とは違って、飲む前から自然の味がするものを期待しているのだろう。僕はこのとき紙パックのジュースの味しか期待できなかったけど。

 

よくアパートで食べた自作のスパゲティ。麺はフェットチーネに限る。

 

アパートからすぐそばには海もあった。スペイン人に限ったことではないけど、外で過ごすのを楽しむ人が多いように思う。バドミントン、インラインスケート、日光浴、すっぽんぽんで走り回る幼児など。僕らは夫婦でハマっているキャッチボールをして過ごした。

読書する女性

 

ストライクだろう

 

例のオレンジジュース

アパートは庶民の多く暮らすエリアにあった。日本に比べると朝のスタートが遅く、シエスタといわれる長い昼休みもあるので、夕方くらいからやっと本気を出すらしく、街に人があふれる。

24時を過ぎても外で酔っ払った人たちの笑い声が何の遠慮もなく聞こえてくる。最初は煩わしかったけど、理由を知ったら気にならなくなった。

楽しもう、そう思う頃には旅立ちの時間が近づいていた。いつものことだ。

「今度はもっとお金持ってこようね」

我慢強い妻のこの言葉を聞くのも何度目だろう。かわいそうになって最後にちょっとだけ奮発してスペインらしい夕方以降を楽しんだりした。市場へ行って、めちゃくちゃ甘いフルーツの盛り合わせや、乾燥生ハムみたいなものを食べまくったり、無料の野外フェスで音楽を聴いたり、BARでサングリアとタパスを嗜むといったような。いかにも旅行という感じで疲れそうだけど、無理矢理やってみると、かなり楽しかった。

名前は覚えていないけど有名な市場

最後はFCバルセロナの試合を楽しんだ。

入場後、このチケットはコレクターにあげた。

 

試合開始前

7000円ほどで購入した僕らの座席は最上階の最上段に用意されていて、スーパースターのメッシは豆粒サイズにしか確認できなかったが、10万人の熱気がド迫力。カンプノウを体感するには絶好の位置だった、と今では思う。

試合も勝利。素晴らしいスペイン旅行の締めくくりとなった。

しかし、それでも僕らにとって1番の感動はサグラダファミリアに違いなく、翌日、僕らはポルトガルへ飛ぶ予定だったけど、その前にサンツ駅に寄り、金を払って荷物を預け、サグラダまで遠いけど歩いたのだ。バルセロナへ来てから最も天気の良い日のことだった。

airbnbでアパート貸し切り引きこもり in フィレンツェ

airbnbでアパート貸し切り引きこもり in フィレンツェ

引き籠るぞ

ローマに疲れたらairbnbを利用して田舎のアパートで気持ちよく引き籠りたい。

せっかく来たのにもったいない、と思われそうだが、10泊する予定だったので、2日も街歩きできればヨーロッパなんて十分。これがローマで疲れ果てて僕が出した結論だ。 続きを読む